(感想)Innocent Forest 第3集

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 記事を作成したのは六月なのですが、色々あって完成するのは七月になっていました。
 書き足りないな~とだらだら感想を書いていたのですが、本日激しい雷雨と雹が降り出して命が脅かされているような気分になったので「この記事だけでも書き上げなければ……」と何とか書き上げました。ベランダは息をしていませんが私は元気です。

 前置きはそれくらいにして「Innocent Forest」シリーズの完結作、第3集を読んだのでその感想です。一応、第1集と第2集の感想を述べている記事のURLも貼っておきます。
 第1集の感想はこちら→『(感想)Innocent Forest 第1集
 第2集の感想はこちら→『(感想)Innocent Forest 第2集
 
 さてこの第3集ですが、表紙のルクレイがべらぼうに可愛いです。いつも可愛いのですが、ルクレイの表情とか等身とか鳥との距離感など、とても好きです。あとしつこく言っているような気がするけれど、青色が好きなので全体的にこの表紙が好きです。実際の画像は特設サイトにてご覧下さい。以下にリンクした作者様のサイトから移動できます。

 作者の詠野万知子様のサイトはこちら→Little Curly


「第十話 つがいの鳥」
 扉絵のルクレイがとても可愛い! いつも同じことを言っているような気がしますが、いつも可愛いから仕方ないです。「Innocent Forest」のイラストを手がけている方は、ルクレイの魅力的な表情をたくさん見せてくれるなあと思っています。
 いわゆる〈子供〉って赤の他人からの視線をあまり顧みなくて、自分の意識の範疇にいる身近な人々以外からどのように思われているかについて気にすることもないのかなと、このお話を読んでから、町や電車の中でお子さんを見かけては考えていました。自分にもそういう時期があったはずなんだけどなあ。そして残念なことに、傍若無人な振る舞いは必ずしも子供だけがすることではありませんが……。
 一般的な認識はそれとして、ユーニスが強気でいられる理由を、グリヴは彼女がそういう〈子供〉だからだと思っていたのかもしれないですね。だけどユーニスは周りから自分たちがどのような目で見られているのか理解していて、そのことを引き受けた上で固い意志を持っています。そして、ユーニスがそのように強い女性でいられるのは紛れもなくグリヴがいるからなのだろう。
 ユーニスは自分が〈子供〉だということを知っていて、まだ大人になれないことも自覚しているからこそ「早く大人になりたい」と願っています。完全なる二人きりの世界であれば年齢とか外見的なことを気にしなくてもいいのだろうけれど、〈社会〉という枠組みの中ではそうはいきません。やっぱりユーニスは外側から自分がどのように映っているのかよく把握していると思います。ここが今回のキーアイテムともとれるカメラと巧みに絡んでいて面白いです。
 あと、これは偶然なのだろうと思っているのですが、15ページから16ページにかけての部分が好きです。丁度いいところでページを跨いでいるなあと個人的に気に入っています。
 物語の感想というよりユーニスだけの感想になってしまったような憾みがありますが、お話全体を通してとても素敵な仕上がりになっています。

「第十一話 ピジョン・ハウス」
 家も財産も仕事もなかったジェイが、全てを与えられ、手に入れてしまう物語でもあるんだろうなあと思いながら読みました。何も持たず、ほとんど誰にも認識されていなかったからでこそ、〈彼〉の空白を埋めることができてしまう、そして辻褄が合ってしまうというのは一種のアイロニーともとれてしまうかもしれない。だけど、ジェイに奇術師としての〈ウィル〉を名乗る資格がなかったのかを考えると、個人的にはそうは思いません。真実が暴かれてしまったら、恐らくジェイは「偽物」と呼ばれてしまうのかもしれないけれど、メルグスも言っていたように奇術師〈ウィル〉はどちらが失われても成立しないのではないかな。ただ、それはやはり奇術師〈ウィル〉に限定した話であって、夫として、加えて父親としての〈ウィル〉にはなれません。そうなるためには、偽るしかないです。
 それも踏まえて、ジェイの最終的な選択が正しかったのかを突き詰めることはできないけれど、忘れられてしまった記憶の鳥が安らかな様子を見せてくれるところには救いがあるのだと思いたいものです。ジェイはかつて本人が口にしていたように、鳩になったんだなあ。
 それにしても最後にヘザーが森を訪れていたのは本当に何なんだろう……。ジェイの懸念していたことが真実だったとしたら、ヘザーは相当強かな女性になってしまいますが……。彼が何も失わずに屋敷を出発していたら疑心暗鬼になりかねないだろうし、いよいよ彼の心は疲弊してしまったのではないかと思います。様々な要素が奇妙にも噛み合ってしまうところに心が落ち着かないけれど、着地点の見えないところにこのお話の魅力があるのかもしれないと思わなくもないです。(とても遠回しな表現)

「第十二話 Magic Spell」
 エリゼオについてはメルグスの言っていたことに尽きると思うので多くは語りませんが、自分が置き去りにしてしまった人からここまで強く願ってもらえるのって、非常に幸福なことなのではないだろうか。エリゼオにとっては、その幸福には気付かない方がいいのだろうけど。置き去りにしてしまった方は記憶を忘れて、された方は忘れていないって結構しんどい案件のような気がするのですが、それでも「忘れてもいい」と思えるのは最大の許しだなあと感じました。
 一件落着のようにも見えるけれど、復讐の時機を逃してしまったということは、ルクレイを「裏切るため」に積み重ねてきた行為がルクレイを「裏切ってしまう」行為になってしまうということになります。ルクレイの提示した方法が正しく「一番の方法」だったとしたら、メルグスは望まなくてもルクレイに復讐したことになってしまう。それを回避するにはメルグスがずっとルクレイの傍にいるしかないように思われるけど、彼女はその方法を選ばないし、ルクレイも何も言いません。これまでもメルグスの内面を読み取ってきたルクレイならば、メルグスの複雑な気持ちを言葉を介さずに理解しているのかもしれないです。だけど、第2集の感想でも述べたように、ルクレイにそこまでの優しさを求めてもいいのだろうか……。それでもメルグスが前向きな気持ちになり、新しい指向(思考の誤字ではありません)を持つことができたのは、「よかった」と言っていいことなのではないかな。登場人物を客観的に眺めるだけ、あるいは一人の登場人物に徹底的に入れ込んでしまう、そのどちらに偏ってもいけないのではないかというのが私の所感です。角度によって見え方が違うからでこそ、一人一人の物語を大切に読んでいきたいものです。

「第十三話 不在の子供」
 ルクレイが落ち着いているから見逃しそうになるけど、ネリーのやっていることは割と恐ろしいのでは……。それこそ一歩でも誤れば「洗脳」になりかねないような。ルクレイがネリーに謝る場面が何度かあるのですが、いやいやそれは恐らくルクレイが謝るべきところではないです。
 ということでネリーが怖いというのが漠然とした初読の感想だったんですけど、「この人、誰かを思い出させるんだよなあ」と過去作を読み返していたら、ネインの母親でした。多分この人もあの人も、忘れたい記憶と忘れたくない記憶の間で苦しみ続けていたんじゃないかと思うのです。そういう苦しみを抱えていたのは彼女たちだけではありませんが。ネインの母親は苦しみ抜いた果てに、その子をいなかったことにして隙間を埋めてしまいますが、ネリーはその隙間を受け容れて歩き出すことができました。ネリーを励ますルクレイの台詞が感慨深いです。
 モラルとかそのあたりを問うてしまったらこのお話が持っている〈感動〉は失われてしまうような気がするし、ルクレイにはそうした問いを打ち消してしまう優しさと強さがあるのだと思います。だけど、モラルを問いたくなる読者の存在があってこそルクレイの人柄は引き立てられるのかもしれません。

「<if>空の青さに」
 気を抜くとわあああという言葉しか絞り出せないので気を引き締めていこうと思いますが、所々に散りばめられているキーワードから「もしかして」に繋がる仕掛けが最高です。ここで「これはあの人の話かな?」と思い当たることができるのは、ここまで「Innocent Forest」を見届けてきたからだと思いたいですね。わあああという気持ちを駆り立てられる箇所はいくつかありますが、「懐かしい」という言葉が一番好きです。


 以上、感想でした。文章が冗長な割には内容が簡潔でふざけてんのかって思われそうですが至って真面目に書きました。
 これにて完結ということで寂しくもありますが、巻末に収録されているお話があのお話で本当に良かったです。ルクレイがとても魅力的なキャラクターで、また彼女と、彼女の言葉に出会うために「Innocent Forest」を読み直したいと思います。ルクレイの言葉って本当に不思議で、物語の文脈の中にある言葉なのに、読んでいる自分自身の文脈にもすっと入ってくることがあるんです。多分、そう感じるのは私だけではないのではないかと密かに思っています。
 素敵な作品をありがとうございました!

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