(感想)季節、名を待つ

Posted in COMITIA121

0 Comments

 COMITIA121でお迎えした作品「季節、名を待つ」を読みました。
 奴隷として売られた「僕」と、「僕」を買った「先生」の交流が描かれた物語です。……と、自分なりに要約してみましたが、これだと語弊がありそうなので、正確なあらすじは作者様のご用意したものを確認してみてください。Web版のトップページやBOOTHのページで確かめることができます。
 Web版では作品の内容も読むことができるのでおすすめです。BOOTHでは素敵なカバーイラストも拝見することができるうえに購入することができる(※2018年2月現在)のでおすすめです。つまりどっちもおすすめです。
 どちらのページも作者様のサイトから移動することができます。

 作者のこうあま様のサイトはこちら→MUKOU


 疑似家族や隔絶された空間はとても好きな要素なのですが、私がこの作品で何よりも魅力的だと思ったのは「言葉に対する繊細さ」です。
 最初の「ドレイ」という言葉が否定されているところも象徴的だと思いました。「ご主人様」という呼称を否定して、「先生」と呼んでもらおうとするところも。
 そして作品を最後まで読んでから目次に戻ってみると、ここにも繊細さが表れていたのだと気付きます。同じ季節を指すとしても、時期によってふさわしい言葉は異なります。「僕」と「先生」の時間が、とても丁寧に記されていたのだと改めて納得しました。
 
 何かに対して言葉を付与するのは、とても難しいことだと思っています。特に、誰か、あるいは誰かのものに対して言葉を付与する時、私はとても緊張します。(私が毎回あらすじをご紹介する時に臆するのも、そういう理由があるからです)
 作中に「僕」の「まっすぐな答えを用意するのは難しい」という語りがありましたが、とてもしっくりする言葉だと感じました。だけど、言葉という形に収めなければいけない場面も、きっとたくさんあります。事柄でも人でも、〈他者〉と接した時は、そうなのではないかと思います。

 相手の言葉に対して、問いを発したり自分のことを語ってみせたりして、それを受けた相手がまた言葉を紡ぐ。この人はこういうことが言いたかったのかな? という自分なりの理解を提示して、相手がそこに訂正を入れて、少しずつお互いのことを理解していく。そういう「僕」と「先生」の会話は(あるいはデイさんとの会話も)、当たり前のようで、実は得難いものであるのかもしれません。
 もちろん、全ての会話が滑らかに成立しているわけではないです。だけど、ゆっくりとでも、彼らはそのように言葉を交わしてきたのだと私は考えています。ここで言う「会話」には〈〉をつけた方が良かったかもしれない。(すぐにカッコつけたがる)

 以上、感想でした。
 ちなみに今回「言葉に対する繊細さ」という表現を使いましたが、言葉に迷いのない人や、短い言葉で断言できる人が繊細じゃないと言うつもりはありません。(ここも誤解を招きそうで、やっぱり言葉は難しいと思う)

 言葉の繊細さに触れたにもかかわらず、私の文章が言葉足らずで申し訳ないです。
 でも、本当に素敵な作品に出会うことができて嬉しかったです。実は拝読していたのも、言葉にまつわるあれこれに悩んでいた時期だったので、尚のことそう思います。

Comments

Leave a comment


管理者にだけ表示を許可する